喜多川歌麿|反骨の浮世絵師の生涯と作品紹介

喜多川歌麿は江戸時代の浮世絵師です。美人大首絵で人気絵師になりました。幕府の統制に屈することなく、蔦屋重三郎と組んで多くの作品を生み出します。歌麿作品は江戸時代の風俗や世相を写し出し、芸術的価値は海外でも高く評価されています。

本の挿絵からスタート

歌麿は狩野派の絵師に師事して絵の修行を始めました。

黄表紙、洒落本、狂歌本

歌麿の絵師としてのスタートは、本の挿絵を描くことでした。当時流行していた、黄表紙、洒落本、狂歌本です。
■黄表紙 絵入りの小説で、男女の色恋沙汰がテーマでした。表紙が黄色だったので、黄表紙と呼ばれました。
■洒落本 遊里のガイドブックで、客と遊女の会話なども紹介されました。
■狂歌本 詩画集です。狂歌は短歌の一種でしゃれや世相を風刺する内容です。

作品紹介 『赤蜻蛉(あかとんぼ)』

『赤蜻蛉』は狂歌本『絵本虫撰(むしえらみ)』に収められている作品です。虫と植物の挿絵に狂歌を添えた見開き15ページの本です。当時を代表する狂歌師30人が1句ずつ詠みました。
虫と植物の挿絵は歌麿が描きました。見開き1ページに2首の狂歌、2種類の虫と植物が描かれています。『赤蜻蛉』のページには赤とんぼとイナゴが描かれています。
狂歌は以下の2種です。

赤蜻蛉         朱楽 管江(あけら かんこう)作
しのぶより 声こそたてね 赤蜻蛉 をのがおもいに 痩(やせ)ひこけても              
いなご         軒端杉丸(のきばのすぎまる)
露ばかり 草のたもとを ひきみれは いなごのいなと 飛のくぞうき

歌麿は花や虫を精緻に描いています。歌麿の描写力は、やがて女性に向けられ、開花します。

蔦屋重三郎との出会い

天明1年(1781年)、27歳の歌麿は3つ年上の版元、蔦屋重三郎と出会います。版元は浮世絵や本の出版元です。歌麿は蔦屋重三郎の家に住み込み、蔦屋の出版する黄表紙本や狂歌本の挿絵を描くようになります。

蔦屋の親戚の喜多川姓をもらい受けるほど、二人は親しい関係でした。歌麿の才能を見抜いた重三郎は、歌麿の浮世絵の出版を後押しします。蔦屋が版元、歌麿が絵師として二人三脚で浮世絵業界を牽引していきます。

初期の浮世絵『四季遊花之色香』

舟に乗り込む男女を描いています。隅田川の舟遊びは人気のレジャーでした。
この頃の作品は複数の人物や全身を描いた作品が多く、鈴木晴信が開拓した多色刷り浮世絵の作風にならっています。

美人大首絵の登場

女性の上半身を描いた、「美人大首絵」を出版し、大ヒットします。初期の美人大首絵は町娘や遊女が描かれました。
上半身だけを描く事により女性の顔の表情を精緻に描く事ができます。背景は描かれていません。背景を省略することにより、顔がクローズアップされます。

町娘を描く

『難波屋おきた』

おきたは浅草の茶屋の看板娘で、当時は16歳でした。町娘を描いたシリーズはブームになり、茶屋にはおきたを見ようと、大勢の人が押しかけました。
以下の狂歌が書き込まれています。

なにはやてふ茶やにやすらひて 難波津の名におふ者とゆきかひに あしのとまらぬ人もあらしな    桂眉住

『ポッピンを吹く娘』/「婦女人相十品」より

「婦女人相十品」は「婦人相学十躰」と共に、美人大首絵作品の初期に描かれた作品です。両シリーズ合わせて8作品が確認されています。
ポッピンは吹くとペコペコ音がする玩具です。

『日傘をさす女』/「婦女人相十品」より

「婦女人相十品」シリーズからの作品です。
揚帽子を被り、日傘をさした女性です。揚帽子は武家や裕福な商人の夫人が、外出の際に被りました。歌麿は着物や髪型、扇子など、当時の最先端のファッションを描きました。

遊女を描く

「當時全盛美人揃」は吉原の遊女を描いた10枚綴りのシリーズです。背景を均一な黄色にした、「黄つぶし」です。「黄つぶし」には顔や着物を浮き上がらせる効果があります。

寛政の改革と幕府の統制

1788年に筆頭老中が田沼意次から松平定信に代わり、寛政の改革がスタートします。寛政の改革は財政の立て直しや風俗の乱れの是正を目指しました。

寛政元年に倹約令が発布され、寛政2年には春画禁止令が公布されます。

寛政3年には蔦屋重三郎が吉原の遊女の生活を描いた洒落本を咎められ、身上半減の刑を受けます。

町娘シリーズが大ヒットしていた、寛政6年には遊女以外の女性の名前を美人画に記入することが禁じられます。

名前を消した『寛政3美人』

茶屋や商家の町娘3人を描いた作品です。描かれているのは、難波屋おきた(右下)、高島おひさ(左下)、富本豊雛(とよひな)(上)です。おひさは両国の煎餅屋の娘です。豊雛は富本節を演ずる芸者です。
初版には画面右上に、「富本豊ひな、難波屋きた、高しまひさ」という名前の書き込みがありましたが、後刷りからは書き込みが削られています。

このころから作品に極印のある作品が目立つようになります。極印は自主検閲の証の印です。幕府は自ら取り締まるのではなく、版元同士の自主検閲による取り締まりを制度化しました。

幕府の統制に判事絵で対抗

遊女の名前の記載が禁止されたので、歌麿は判事絵で対抗します。判事絵は名前をこま絵や記号で表現する手法です。

『高野の玉川』の判事絵

『高野の玉川』は6枚揃いの『六玉川』シリーズの作品です。『六玉川』には吉原の遊女が描かれています。六玉川は古歌に詠まれた全国の6つの玉川を指します。野田(宮城県)、調布(東京都)、野路(滋賀県)、井手(京都)、高野(和歌山)、三島(大阪)が六玉川です。

作品の右上に、こま絵と狂歌で遊女の名前を連想させています。扇形の中に描かれたこま絵には山と寺が描かれているので、高野山を連想させます。「高野の玉川」であることがわかります。
以下の狂歌が書きこまれています。

毒の玉河とおもへとわすれてハ 又漕いるゝさんや堀哉   巴人亭光

さんや堀は隅田川に注ぐ堀で、吉原への通い船が行き来していました。

さらに厳しくなる幕府の統制

幕府の統制はさらに厳しくなります。寛政8年(1796年)には判事絵が禁止になり、寛政12年(1800年)にはついに、美人大首絵が禁止になります。

判事絵や美人大首絵の禁止に対抗して歌麿は、女性の日常や働く姿を描くようになります。『娘日時計』『婦人手業操鏡』や『婦人手業操鏡』のシリーズです。

町娘の日常を描く

『娘日時計』は町娘の日常を描いた5枚綴りのシリーズです。辰ノ刻(午前8時)から、2時間おきに2人の女性の日常が描かれています。黄色の背景は黄潰しです。顔には輪郭線がなく、黄色の背景に顔を浮き上がらせています。

『辰ノ刻』(午前8時) 朝顔が描かれているので、季節は夏です。右の娘は歯磨きの房楊枝を口にしています。
『巳ノ刻』(午前10時) 娘が髪結いの出来を鏡で品定めしています。
『午ノ刻』(正午) 風呂上りの様子が描かれています。口にしているのは肌を洗う、糠袋です。
『未ノ刻』(午後2時)煙管を持って衝立によりかかる女性と、座った女性が何事か話しています。
『申ノ刻』(午後4時)女主人が女中を連れ歩く姿が描かれています。

仕事をする女性を描く

「婦人手業操鏡」と「婦人手業拾二工」のシリーズでは、働く女性を描いています。

『洗濯』/「婦人手業操鏡」より

「婦人手業操鏡」は5枚綴りのシリーズで、『洗濯』、『機織り』、『針仕事』、『糸つなぎ』、『糸繰』の5作品からなります。
『洗濯』は洗濯している女性が、ふと目を上げた一瞬の表情をとらえています。桶にはカキツバタがいけてあります。

『洗張り』/「婦人手業拾二工」より

「婦人手業拾二工」は職業別に、働く女性を描いた12枚綴りのシリーズです。2人の女性が働くようすがペアで描がかれています。
『洗張り』は着物を洗濯する職業です。着物から糸を抜いて、反物の状態にして洗濯します。

『針仕事』

裁縫をしている女性と膝で遊ぶ子供を描いています。夏物の紗の反物を透かして、女性の顔が描かれています。歌麿の絵には母親と遊ぶ子供がよく登場します。

歌麿の逝去とその後の浮世絵

文化1年(1804年)、豊臣秀吉の花見を描いた浮世絵を幕府に咎められ、歌麿は手鎖50日の刑を受けます。刑罰により体力・気力のなえた歌麿は2年後の文化3年(1806年)に生涯を閉じます。

最晩年の作品

この作品の版元印は「^に中」の印です。これは若松屋与四郎という版元の印です。若松屋与四郎は文化・文政(1804年~1829年)年代に活動した版元です。歌麿の逝去が1806年なので、この作品は歌麿の最晩年の作品と推定されます。

風景画の登場

歌麿の逝去した文化3年(1806年)に、歌川広重が誕生します。広重は葛飾北斎と共に、浮世絵に風景画というジャンルを開拓した絵師です。浮世絵の人気ジャンルは役者絵や美人画から風景画へと移り、発展してくのです。

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浮世絵には大判、中判、小判、等のサイズがあり、最も一般的なサイズが大判(約39cm☓26.5cm)です。
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参考文献

『歌麿 抵抗の美人画』近藤史人 著/朝日新書 発行

「喜多川歌麿」展(1995/11/3~12/3 千葉市美術館)図録 /朝日新聞社 発行