川瀬巴水|スティーブ・ジョブスも愛した日本の風景版画

川瀬巴水の5作品

川瀬巴水は明治から昭和にかけて出版された、新版画を代表する版画家です。新版画の特徴と代表的な巴水作品を紹介します。スマートフォンの発明者、スティーブ・ジョブスと巴水のかかわりもご紹介します。

川瀬巴水について

川瀬巴水は大正から昭和にかけて活躍した版画家です。新版画の代表的な版画家の一人です。
巴水は日本各地を旅して、当地の美しい風景を抒情豊かに描き、「旅の版画家」として知られています。

川瀬巴水 略歴

年号年齢出来ごと
1883年(明治16年)東京の港区新橋に生まれる
1908年(明治41年)25歳画家を目指し、洋画家、岡田三郎助に弟子入り
1910年(明治43年)27歳日本画家、鏑木清方(きよかた)に入門し「巴水」という画名をもらう
1918年(大正7年)35歳版元渡邉庄三郎と出会い、塩原を題材にした作品3点を出版
1920年(大正9年)37歳「旅みやげ」第一集出版。「旅みやげ」は1929年の第三集で完結
1923年(大正12年)40歳関東大震災で写生帖188冊を焼失
1930年(昭和5年)47歳東京都大田区馬込に転居。震災後の東京の風景を描いた『東京二十景』を出版
1948年(昭和23年)65歳疎開先の塩原から東京大田区池上に転居
1957年(昭和32年)74歳病気により逝去

「巴水」という画名の由来に関しては、下記のエピソードを語っています。

清方先生に画名「巴水」と命名してもらった。・・・小学校が巴小学校なので 川瀬の川に因んで巴水という名前をえらび、つけてくださったが実は桜川小学校を巴小学校と先生は思いちがいをしていられた。

特別展「川瀬巴水ー誕生130年記念ー」図録 より

新版画の特徴

新版画は明治から昭和に作られた木版画を指します。江戸時代の浮世絵木版画の技法に、西洋絵画の技法や多色の技術を取り入れました。
巴水の作品は、海外でも人気があり、葛飾北斎(Hokusai)、歌川広重(Hiroshige)、川瀬巴水(Hasui)の名前のHをとり、3Hと称されています。

新版画の特徴は大きく3点あります。
 ①豊かな色彩表現
 ②西洋の絵画技法の取り込み
 ③後刷りの品質維持

豊かな色彩表現

木版画では、複数の版木で色を摺り重ねる事により、色彩を表現します。
木版画には摺りの回数による、色数の制限があります。江戸時代の浮世絵の色摺りは数回~多い作品で20回程度でした。北斎の名作、『神奈川沖波裏』は7色を摺り重ねています。
新版画では摺りの数(色数)を多くし、微妙な色彩の変化を表現しました。巴水の作品は、30回以上の摺りを行い、深みのある色彩に仕上がっています。

■『出雲三保が関の朝』
 朝陽に映える海や雲の色合いの微妙な変化を、多色刷りにより表現しています。

■『清州橋』
夕闇に浮かぶ清州橋です。空と川はともに青系の色ですが、多色の摺り重ねにより、空と川の色合いの違いを表現しています。

西洋の絵画技法の取り込み

新版画は海外にも輸出されました。遠近法や細密描写など、西洋画の技法を木版画に取り入れ、西洋人にも親しみやすい作品に仕立てました。巴水は2年間洋画の勉強をしていて、この経験が作品に生かされています。

■『池上本門寺』
雪の池上本門寺の山門を描いています。山門に向かうに従い、参道の道幅が狭くなる描写は、線遠近法を取り入れた構図になっています。

■『亀戸の藤』
江戸時代の浮世絵師、歌川広重にも亀戸の藤を題材にした作品『亀戸天神境内』があります。現在も初夏になると多くの人が訪れる藤の名所です。江戸時代から現在に至るまで、変わらぬ景色を残す数少ない場所です。
両者を比較すると、巴水の作品は遠近法や豊かな色彩により、より写実的な作品になっています。

広重と比較されることに関して、巴水は以下のように述べています。

巴水は「広重の模倣だ」と言われたが、広重など見なかった。見ると毒だと考えていた。

特別展「川瀬巴水ー誕生130年記念ー」図録 より

後刷りの品質維持

版画は版元がとりまとめ役になり、絵師、彫り師、摺り師の分業体制で制作されます。
①絵師はスケッチを参考にして、版画の元となる元絵を描きます。
②彫り師は元絵を木版に貼り付け、木版を削り、凸版を制作します。色ごとに複数の凸版を制作します。
③摺り師は凸版を使って紙に輪郭線と色を刷り込みます。

江戸時代の浮世絵では、初刷りとよばれる最初の版では、絵師の意向が反映された作品に仕上がります。以降の版(後刷り)では、摺り師や版元の意向により、初刷りから色合いが変化し、品質が低下する傾向がありました。
新版画は版元と絵師の統制により、版を重ねても初刷りの品質を維持しました。新版画は海外へも輸出されたので、安定した品質が求められたのです。

川瀬巴水の代表作を紹介します。

代表作の紹介

「旅みやげ」シリーズ 1920年-1929年

巴水は日本全国を写生旅行し、各地の風景を写生帖にスケッチしました。旅から帰った後、写生帖のスケッチを元に作品の元絵を描きました。

「旅みやげ」の由来に関して、巴水は以下のよう述べています。

今の私に何が好きだと聞かれましたら即座に旅行!と答へます。・・・
ここに掲げましたものは皆其の写生旅行によって製作したものです。『旅みやげ』とはその意味で名付けました。

特別展「川瀬巴水ー誕生130年記念ー」図録 より

「東京二十景」 1925年-1930年

関東大震災(1923年)で東京は大きな被害を受けました。震災の復興によって東京の姿は大きく変わろうとしています。『東京二十景』では震災後も変わらないで残る、東京の風景が描かれています。

その他の作品

■『池上本門寺の塔』 
巴水は1930年に馬込(現在の大田区南馬込)に家を建て、引っ越しました。
池上本門寺は自宅近くにありました。池上本門寺を題材に多くの作品を制作します。

■『上州法師温泉』
群馬県の法師温泉 長寿館の湯船に巴水が浸かっています。この温泉は湯船の下から温泉が湧く、足元湧出温泉として有名です。
現在も当時と変わらない、湯殿が残っています。

以上、川瀬巴水の代表作を紹介しました。
次に、スティーブ・ジョブスと巴水のかかわりをご紹介します。

スティーズ・ジョブスの愛した巴水作品

スティーブ・ジョブスと日本文化

スティーブ・ジョブス(1955-2011)はスマートフォンやパーソナルコンピュータを世に出しました。
ジョブスは禅、絵画、陶器などを通じて、日本文化の影響を受けます。ジョブスの寝室には、アインシュタイン、ガンジー、新版画の美人画が飾ってありました。
ジョブスが日本文化から体得したのは「シンプル」というデザイン志向です。アップル製品のデザインにも影響を与えました。

絵画では日本の新版画、特に川瀬巴水の作品がお気に入りでした。ジョブスと巴水作品との出会いは、幼なじみの家に飾ってあった、巴水の3作品(日光街道、奥入瀬之秋、赤目千手の瀧)でした。

絵師→彫師→摺師という版画の制作過程を、絵師がコントロールする工程は、アップル製品の開発の参考にもなりました。

ジョブスが所有していた巴水作品

ジョブスは来日時に新版画を買い求め、48点の新版画を所有していました。ジョブスが所有していた巴水作品の一部を紹介します。

ジョブスは落ち着いついた、風情のある作品を好んだようです。巴水は風景に関して以下のように述べています。

風景にはさわがしさよりも静かな余情を表すことを心がけ、またそれが自分の性格的なものだと考えた。

特別展「川瀬巴水ー誕生130年記念ー」図録 より

ジョブスは巴水風景画の「余情」に魅せられたのではないでしょうか。


川瀬巴水の代表作とスティーブ・ジョブスの関わりを紹介しました。

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【参考情報】

・特別展「川瀬巴水ー誕生130年記念ー」図録 制作:大田区立郷土博物館 2013/10/27発行

・川瀬巴水の作品は下記のデジタル・アーカイブから転載しました。
国立国会図書館「NDLイメージバンク」 (https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/) 「川瀬巴水の風景版画」

・スティーブ・ジョブスと川瀬巴水のかかわりは下記の情報を参考にしました。
①NHK BS1 「日本に憧れ 日本に学ぶ」スティーブ・ジョブスものづくりの原点 初回放送日:2023年6月17日
②NHK NEWS WEB特集 「スティーブ・ジョブズ 「美」の原点」