カンディンスキー、モンドリアン、クレーの抽象画の作品をクリエイティブ・パークに公開しました。ダウンロードはこちらから
抽象画とは見る人が主題(何を描いているか)を認識できない絵画です。何が描いてあるかわからないので、抽象画は「むずかしい」というイメージを持つ人は多いと思います。
カンディンスキーの著書から、抽象画の鑑賞方法を読み解きます。音楽が心に響くように、絵画を心に響かせればよいのです。
激動の時代を生き抜く/カンディンスキーの生涯
ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)は1866年、モスクワで生まれました。カンディンスキーの生きた時代は、第一次世界大戦、ロシア革命、第二次世界大戦と続く、激動の時代でした。
カンディンスキーは時代の変化に応じて生活の場を変え、制作活動を続けました。
生活の場 | 主な出来事 | 世界情勢 |
モスクワ 1866-1896 |
・モネの『積み藁』と出会う(1896年) | |
ミュンヘン 1896-1914 |
・画家を志して美術学校に入り抽象画を探求 ・『芸術における精神的なもの』刊行(1911年) |
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ロシア 1917-1921 |
・革命政府の元で文化の普及に尽力する | 第一次世界大戦(1914-1918) ロシア革命(1917) |
ドイツ 1921-1933 |
・建築学校バウハウス校で教鞭をとる(1922-1932) ・『点と線から面へ』刊行(1926年) |
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パリ 1933-1944 |
・ナチスから逃れ、パリに移住 | 第二次世界大戦 (1939-1945) |
モスクワ時代/『積み藁』との出会い
カンディンスキーは大学では法学や経済学を学びました。卒業後は印刷会社に就職し、出版物の美術担当になります。
1896年にモスクワで開催されたフランス美術展で、モネの『積み藁』に出会います。
『積み藁』に出会った時の衝撃を回想録で述べています。
そしてとつぜん、初めて私は絵を見たのだ。その絵が積藁であることを、私は目録で知った。何の絵か判らないこと、それが私には不快であった。画家がこんなにも不明瞭に描くことは不当だ、とも考えた。私はばくぜんと感じた。この絵には主題がない、と。そしてその絵が私の心をとらえ、しかも記憶に消しがたい印象をとどめて、いつもまったく思いがけぬときに、その細部にいたるまでありありと眼の前にうかんでくるのに気づいたとき、私は驚きもし、また当惑もした。
『芸術における精神的なもの』
カンディンスキーは主題がわからなくても、絵は人を感動させることを悟ったのです。
カンディンスキーは1896年に、画家を目指してミュンヘンに引っ越します。
ミュンヘン時代/抽象画を模索
抽象画の模索を続けるカンディンスキーは1911に抽象絵画論『芸術における精神的なもの』を刊行します。
本の中で自身の作品を3種類に分類しています。
①インプレッション(印象):外面的な自然の印象
②インプロヴィゼーション(即興):内面的な自然の印象
③コンポジション(作曲):内面で時間をかけて形作られ、練り上げられた表現
ミュンヘン時代に描かれた作品を紹介します。
■ムルナウの家
ムルナウはアルプス地方の村の地名で、カンディンスキーは夏に訪れました。
山や家の形状は判別できますが、形や色彩はアレンジされています。インプレッションに分類される絵です。
■インプロヴィゼーション 35
インプロヴィゼーションとは音楽の即興演奏のことです。カンディンスキー自身の内面的な自然の印象を、線と色彩で表現しています。タイトルには番号が振られていて、主題はありません。
ミュンヘン時代の他の作品もご紹介します。
バウハウス時代/講師のかたわら創作活動
1921年にドイツ ワイマール地方に設立された、バウハウス校に講師として着任します。バウハウスは建築を中心とした総合デザイン学校です。カンディンスキーは講師のかたわら、抽象画制作に励みます。
1926年には『点・線から面へ』という本を刊行します。『点・線から面へ』では絵画を構成する形態と色彩のうち、主に形態に関して論じています。形態を点・線・面に分類して分析しています。
例えば線は直線、曲線、鋭角、鈍角、三角、四角、円、水平線、垂直線、矢印というさまざまな形態を作ります。その形態が人の心にどのように響くのか、形態と色彩がどのように相互作用をして、人の心に働きかけるのかを解説しています。
バウハウス時代の作品を紹介します。
■濃い赤
赤に関してカンディンスキーは『芸術における精神的なもの』の中で、以下のように述べています。
赤は、心理的には、きわめて生気にあふれ、活動的で落ちつきのない色、といった印象を与える。(中略)エネルギーと強烈さに満ちあふれながらも、まるで目的を意識しているかのような、汲めどもつきぬ力をもつ、たくましい調子を生みだす色彩なのである。
『芸術における精神的なもの』
この絵には円、三角、四角、曲線、水平線、垂直線、斜線など、さまざまな線から構成された形態が含まれます。
バウハウス時代の他の作品も紹介します。
パリ時代/ナチスから逃れて
ドイツでナチスが政権を握ると、ロシア人のカンディンスキーは敵性外国人とみなされます。バウハウスのカリキュラムや教授陣もナチスの意にそぐわず、バウハウスはナチスの圧力により閉鎖に追い込まれます。
カンディンスキーはフランスに亡命して創作活動を続けました。
■ラ・フレーシュ
バウハウス時代の後半から、原始的な生命体を連想させる形態が登場します。原始的な生命体を有機体と呼び、有機体を描く理由を以下のように述べています。
かつて自然は原形質と細胞から控え目に始まって、非常に緩慢により複雑な有機体へと移行したように、自律的に生まれた抽象芸術もここでは「自然の法則」に従って、前進することを強いられるのである。
『点と線から面へ』
第二次世界大戦が激化する中、カンディンスキーは終戦の前年にパリで生涯を終えます。
同時代の抽象画家 モンドリアンとクレー
カンディンスキーと同時代に、抽象画を追求したモンドリアンとクレーの作品もクリエイティブ・パークからダウンロードできます。
ピート・モンドリアン
ピート・モンドリアン(1872-1944)は、オランダ出身の画家です。当初は風景画を描いていましたが、ピカソの絵に出合い、抽象画に傾倒していきます。
モンドリアンの到達した抽象画は垂直・水平の格子の中に黒、赤、青、黄、灰の色を配した作品です。同じ抽象画でもカンディンスキーの作品とはだいぶ趣が違います。
■黄、黒、青、赤、灰の菱形コンポジション
モンドリアンの作品を紹介します。
モンドリアンは第二次世界大戦の戦火を逃れ、ニューヨークに移住し生涯を終えます。多くの芸術家が戦火を逃れ、ヨーロッパからニューヨークに移住しました。芸術の中心もパリからニューヨークに移り、ニューヨークで近代芸術が開花したのです。
パウル・クレー
パウル・クレー(1879-1940)はスイスのベルンで、父が音楽教師を務める家庭に生まれます。ミュンヘンで画家を目指し、カンディンスキーとも知り合いになります。バウハウスにも招かれ、カンディンスキーと共に抽象画の表現を模索しました。
■木と建物-リズム2
クレーは幼いころから音楽に親しみ、バイオリンの腕前は一流でした。絵画にも音楽の音色やリズムを表現することを目指します。本作品では木と建物が交互に配置され、色彩も緑、黄、ピンク、紺がリズミカルに配置されています。
クレーは戦争が激しくなると、生まれ故郷のスイス ベルン近郊に移り、創作に励みます。クレーの作品を紹介します。
音楽を聴くように絵画を心に響かせる
カンディンスキーは絵画と音楽の共通点を以下のように述べています。
画家は、あれこれの鍵盤をたたいて、合目的的に人間の魂を振動させる、手である。それゆえに明らかなことは、色彩の階調(ハーモニー)は、人間の魂を合目的的に動かす原理に基づかねばならぬ、ということである。
『芸術における精神的なもの』
色彩と形態を組み合わせて絵画を制作することを、「作曲(コンポジション)」と呼びました。音楽は耳から入る音色やハーモニーが人の心に響きます。絵画では目から入る色彩と形態で人の心を響かせるのです。
抽象画はよくわからない、と言う人もいますが、そんなことはありません。音楽を聴くように、絵を見て心の響きを感じれば良いのです。
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参考文献
『抽象芸術論 芸術における精神的なもの』/ワシリー・カンディンスキー著/美術出版社
『点と線から面へ』/ワシリー・カンディンスキー著/ちくま学芸文庫