歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』全119作品を、描かれた地点を示す地図アプリと共に公開しました。
『名所江戸百景』の地図アプリはこちらから
名所江戸百景は、幕末を迎えた江戸の名所と、江戸に暮らす人々の姿を描いています。
名所江戸百景が描かれた背景と、代表作8点を紹介します。
名所江戸百景とは | 江戸、浮世絵、広重にとっての集大成
名所江戸百景は幕末の1856年から1858年にかけて発行されました。
年表に示すように、名所江戸百景が発行された時代は、さまざまな出来事がありました。
西暦 | 江戸百景の推移 | 江戸の出来事 |
1853 | ペリー来航 | |
1854 | ||
1855 | 安政の大地震 | |
1856 | 江戸百景発行(37点) | |
1857 | 江戸百景発行(71点) | 日米修好通商条約 |
1858 | 江戸百景発行(10点)/広重逝去 | |
1859 | 江戸百景発行(1点)/目録発行 | 安政の大獄 |
1860 | 桜田門外の変 |
名所江戸百景は江戸の町、浮世絵、広重の3者にとって、集大成と位置づけられる作品です。
江戸の町
作品が発行された時期はペリー来航(1853)、安政江戸地震(1855)、日米修好通商条約(1857)、安政の大獄(1858-59)などの事件が続きました。明治維新へ向かう、動乱の幕開けの時代です。江戸名所百景の発行から10年後の1868年に、明治元年を迎えます。
幕末の江戸は人口100万人が暮らす、世界一の大都市でした。名所江戸百景には、江戸から東京になる直前の成熟した江戸の町が描かれています。
江戸浮世絵
浮世絵は江戸時代初期に登場し、モチーフや色数、構図で独自の進化を遂げました。当初は美人画や役者絵、武者絵に人気がありました。葛飾北斎が『富嶽三十六景』で風景画という分野を切り開きました。江戸時代後期の旅行ブームを追い風に、風景画は大流行したのです。
幕末に発行された、名所江戸百景は江戸浮世絵の集大成と位置付けられる作品です。
明治維新と共に多くの浮世絵が海外に渡り、印象派の画家達にも影響を与えました。
歌川広重
歌川広重は江戸時代後期の寛政9年(1797年)に、火消役人の家に生まれました。15歳で歌川豊広の門下生になり、35歳で職を子にゆずり、絵師に専念します。
当初は美人画や役者絵、花鳥画を描きました。『東都名所』を皮切りに風景画を手掛け、『東海道五十三次』、『富士三十六景』、『木曽海道六十九次』、 『六十余州名所図会』、『近江八景』などの風景画シリーズを発行しました。
『名所江戸百景』は広重最晩年の作品で、広重の死により発行が終了しました。名所江戸百景は広重にとっても集大成となる作品です。
代表作品のご紹介
春夏秋冬の各季節から、代表作を2点ずつをご紹介します。
春|亀戸梅屋敷
ゴッホが模写した作品として有名です。ゴッホは浮世絵の明るい色彩と大胆な構図に魅了されました。明るい色彩を求めて、フランス南部のアルルに居を移したほどです。
ゴッホが模写した作品はこちらからご覧になれます。
『亀戸梅屋敷』の模写(外部サイト)
『大はしあたけのゆうだち』の模写(外部サイト)
春|真崎辺りより水神の森内川関屋の里を見る図
座敷の丸窓越しに見える景色を描いています。丸窓によって切り取られた風景と障子の格子がデザイン性の高さを感じさせます。
日本絵画の愛好家だった、ピーター・ドラッカーは、日本絵画と西洋絵画の違いについて以下のように述べています。
少なくとも室町時代から今日に至るまで連綿と続いてきた日本美術の特色は、概念でなく知覚であり、写実でなくデザインであり、幾何学でなくトポロジーであり、分析ではなく統合であると言えるだろう。
『既に起こった未来』/日本画の中の日本人/ダイヤモンド社 より
日本絵画の特徴はデザイン性の高さにあり、本作品もその伝統を受け継いでいます。
夏|大はしあたけのゆうだち
大はしは隅田川にかかる橋です。あたけは地名で、幕府の御用船、安宅丸の船蔵がありました。
激しく降る雨で遠景はかすんでいます。黒い雨雲から落ちる大粒の雨を、無数の縦線で表現しています。急な夕立に降られて、急ぎ足で橋を渡る人物が描かれます。
名所江戸百景には、水辺の風景が多く描かれています。徳川家康が江戸幕府を開いたころ、江戸は河川や沼が点在する湿地帯でした。幕府は治水に力を入れ、河川の付替え、埋め立て、上水の整備を行い、江戸は至るところに川が流れる、水の町になったのです。
夏|亀戸天神境内
亀戸天神は描かれた当時の風景を今も残します。4月下旬になると藤の花を見る人で賑わいます。
浮世絵は江戸の庶民や、江戸を訪れた人々が買い求めました。浮世絵の値段はかけそば1、2杯程度で、庶民にも手の届く嗜好品だったのです。名所江戸百景には江戸で暮らす人々が描かれています。なかでも多く登場するのは名所を訪れ、観光を楽しむ庶民の姿です。
絵の中に人物を描くことにより、見る人を絵の中にいざなうのです。
秋|真間の紅葉手古那の社継はし(ままのもみじこてなのやしろつぎはし)
赤く染まる紅葉が絵の主役です。紅葉の赤色が褪色して茶色になっている作品が多いのですが、本作品はきれいな赤が残っています。保存状態が良かったのでしょう。
本シリーズの作品の大部分は、シカゴ美術館のコレクションからの転載です。シカゴ美術館はボストン美術館とともに、浮世絵のコレクションが充実している美術館です。
秋|京橋竹がし
京橋近辺には竹問屋が集まり、竹河岸と呼ばれていました。江戸時代、竹は建築や日用品の素材として欠かせない存在でした。
1855年に発生した安政の大地震で、江戸は大火に見舞われました。震災の翌年から発行された名所江戸百景には、復興をとげる江戸の町が描かれています。復興のために使われる竹が、筏船で運ばれ、集積されています。
中秋の名月が橋の上を行く人と船頭を照らし、情緒豊かな作品に仕上がっています。
冬|浅草田甫酉の町詣(あさくさたんぼとりのまちもうで)
鷲(おおとり)神社の酉の市では、縁起物の熊手を売ります。熊手を担ぐ人の行列を、猫が眺めています。人は描かれていませんが、人の気配を感じさせます。それは、窓枠の上に無造作に置かれた手ぬぐいと茶碗です。畳の上には熊手の型をした、かんざしも見えます。
小物を描くことにより、見る人に「誰が使うのか」という想像を掻き立て、人の気配を感じさせるのです。
冬|深川州崎十万坪
海に浮かぶ桶を鷲が狙っています。翼を広げる鷲を近景に大きく描き、迫力のある絵になっています。鳥の目線で見る雪景色の海岸線と筑波山を描くことにより、広々とした空間を描いています。
本作品は近景拡大と鳥瞰図という浮世絵の特徴的な構図を備えています。
江戸百景/目録(118作品)
広重の死後、名所江戸百景の目録が発行されました。目録は春夏秋冬で作品を分類しています。2代目広重の作品『赤坂桐畑雨中夕けい』を除く118作品が掲載されています。
目録に記載されている通りに、春夏秋冬に分けて作品一覧を掲載します。作品のタイトルは、目録の作品名を記載しました。
作品名をクリックすると、作品のダウンロードページが開きます。
作品の画像は無料でダウンロード出来ます。季節に応じた作品をダウンロードしてお部屋に飾りませんか。
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浮世絵には大判、中判、小判、などのサイズがあり、最も一般的なサイズが大判(約39cm☓26.5cm)です。
大判の浮世絵を原寸で鑑賞したい方に、大判の和紙に印刷した作品をご用意しました。
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■参考文献
『既に起こった未来』/ピーター・ドラッカー 著/ダイヤモンド社 発行
『浮世絵「名所江戸百景」復刻物語』/小林忠 監修/芸艸堂 発行
『広重|名所江戸百景』/浅野秀剛 監修/小学館 発行